御鎮座二百年   特別神事     護摩札御開帳   (ご参列申し込み)

弥五左ェ門 金刀比羅神社は

文政4年(1821)に御鎮座しました。

令和3年は御鎮座から二百年の記念の年です。

 

記念奉祝特別神事

奉祝特別神事として

「護摩札御開帳および金幣拝戴の儀」を行います。

200年前、北前船「白山丸」が海上で大嵐にあった時

船員一同は船の守り札・護摩札を伏し拝んで

金比羅大権現に救助を願いました。

すると護摩札の先の天空に

金の御幣をお持ちの金比羅大権現があらわれ

14名全員の命が救われました。

この際の護摩札は

その時の金の御幣(御神体)と共に

現在、社殿の奥の内陣に安置、奉斎されています。

この度、御鎮座二百年を記念して

初めてこの護摩札を御開帳いたし

よりお近くでお参りいただきたいと思います。

その際に「金幣拝戴(きんぺいはいたい)の儀」を執り行います。

金幣拝拝とは

御鎮座二百年を記念して新たに奉製した「鈴金幣」により

御開帳に参列された方お一人お一人をお祓いするものです。

金幣は当社の御神体に通じるものです。

「鈴金幣」は御開帳後、護摩札と共に内陣に安置し

次回の御開帳まで秘します。

 

※ご参列申し込み要項

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 ※ 護摩札について

江戸時代まで御本社である香川県の金刀比羅宮は象頭山・松尾寺(ぞうずさん・まつおじ)という真言宗のお寺の境内にあり、その管理下にありました。


 


つまり当時の金刀比羅宮の維持管理または御祈祷やお守りの頒布は全てお寺の僧侶により行われており、現在とは異なり神社ではなくお寺でした。


 


ですから、江戸時代に行われた御祈祷、お祓いを受けた際に戴くお札は今のような神社の神札ではなく、お寺の護摩札でした。


 


また江戸時代の神社名は金刀比羅宮ではなく金毘羅大権現(金比羅大権現)でした。


(「権現」は、衆生を救うため仏が神の姿を仮の姿として現れるということです)


 


当社には文政五年当時の金比羅大権現の護摩祈祷のお札も残されています。(今回御開帳をする護摩札の翌年のもの)


 


その護摩札には、一番上に不動明王を表す梵字(カンマン)。


 


その下に「奉修不動明王護摩供二夜三日海上安全祈攸」と書いてあります。


 


江戸時代までは神と仏は同体と考えられ、それぞれの神には本(もと)となる仏が定められていました。


 


金刀比羅の神・金比羅大権現は不動明王と同体とされていました。


 


護摩札に書いてある文字の意味は、不動明王(金比羅大権現)に対し三日間にわたり海上安全の護摩祈祷をしたしるしのお札という事です。


 


現在残されている、江戸時代の金比羅大権現の護摩札はこの様式が多いようです。


 


しかし、今回御開帳をする護摩札は全く異なります。


 


書いてある梵字は聖観音をあらわし、その下には「奉修十一面供一日一夜白山丸渡海安全如意吉祥處」と書いてあります。


 


十一面とは十一面観世音菩薩のことで、その十一面観音に白山丸の海上安全を一昼夜の間祈祷したと書いてあります。不動明王ではなく十一面観音です。


 


最初は、金比羅大権現の護摩札ではないのではないかと疑いました。


 


文政五年の護摩札には日付の他に「象頭山 金光院」と書いてあります。


 


金比羅大権現が松尾寺というお寺の境内にあったということは最初に書きましたが、当時松尾寺という名前そのもののお寺はなく、山内にある六つの寺院を総称して松尾寺としていました。


 


その六つの寺院を取りまとめていたのが金光院(こんこういん)というお寺です。


 


江戸時代当時の旅のガイドブックである「金毘羅参詣名所圖會 二」にも、お守りや護摩祈祷の申し込みは金光院に申し出るとすぐに対応してくれると書いてあります。


 


ですから普通の護摩札には「象頭山 金光院」と書いてあるのですが、当社の護摩札の同じ部分には、「權大僧都阿闍梨 常學院惠龍」となっています。より具体的な僧侶の名前です。この方が白山丸の海上安全の護摩祈祷をしてくれたことはわかりますが、金光院ではなく常学院(じょうがくいん)という寺院の阿闍梨(あじゃり)の方です。松尾寺の中の六寺院の中に常学院というお寺はありませんでした。


 


そこで詳しく調べてみました。


 


金光院の中心となる本堂は観音堂でした。場所は現在の金刀比羅宮の御本社の左側にあたり、今では三穂津姫社と(みほつひめしゃ)いう神社になっています。この位置に金光院の中心となる本堂・観音堂がありました。


 


観音堂の御本尊は十一面観音菩薩像でした。この十一面観音菩薩像は、いまでも金刀比羅宮に残されており、宝物館に展示されています。十一面観音立像として国の重要文化財に指定されています。


 


しかし金毘羅参詣名所圖會 二」には、御本尊が正(聖)観世音菩薩で、お前立ちという本尊の前に祀る仏像が十一面観世音菩薩であると書いてあります。


 


これはおそらく、本尊仏像の十一面あるはずのお顔が失われ、本体のみのお顔となってしまっていたため聖観世音菩薩とされていたのではないかという説があります。


いずれにしても江戸時代当時の人々は、この観音堂には聖観音と十一面観音が祀られているという認識であったということです。


 


江戸時代の金比羅大権現の重要な神事はすべてこの観音堂で執り行われたとされています。


 


つまり、金比羅大権現=金光院=聖観音・十一面観音だったわけです。


 


つぎに護摩祈祷をした僧侶がいた常學院(常学院)に関してですが、香川県三豊市というところのホームページに見つかりました。三豊市は金刀比羅宮のある琴平山(ことひらやま)の西側を含む位置にあります。


 


そこの財田町(さいたちょう)に常学院という昔の山伏の修行道場がありました。


 


その常学院は同じく財田町にあるかつて末寺二十四ヶ寺を誇った伊舎那院(いしゃないん)の関連の道場とされています。伊舎那院は金光院とは非常に縁が深く、今も山門に残る仁王像は金光院から送られたものとのことです。


 


權大僧都(権大僧都・ごんだいそうづ)というのは真言宗における僧侶の位です。


 


阿闍梨は決められた修行を終え、弟子を教える規範となるような位の高い僧侶のことです。


 


おそらく当時、権大僧都であり阿闍梨でもあった常学院の惠龍という僧侶が、金光院・金比羅大権現の護摩祈祷の助勤に行っていたのではないかと考えられます。


(常学院で今祀られている本尊は役小角像であるとのことなので、ここで護摩祈祷をしたわけではない)


 


さらに護摩札の裏には二つの梵字が書いてあります。


 


ボロンと言われる梵字で、一字金輪仏頂尊(いちじきんりんぶっちょうそん)という仏をあらわします。


 


それと大日如来をあらわす梵字です。


 


一字金輪仏頂尊のその徳は広大無辺で悪毒鬼神の害を除き、真言を一心に唱えれば一切の願意が成就するとされている仏ですが、通常秘仏扱いで表に出ることがなかったため一般には広まらなかったとされています。


 


大日如来は言うまでもなく、真言宗においての最高仏であり全宇宙の中心となる仏です。


 


護摩札の「如意吉祥(にょいきっしょう)」というのは全てが自らの思うままに良い方向に進むということです。


 


この護摩札には金比羅大権現の神徳と、そこに聖観音、十一面観音、一字金輪仏頂尊、大日如来の諸仏の力を結集して、白山丸を何としても救おうという常学院惠龍という僧侶の願い、あるいは気迫が感じられます。そして実際に死に直面しながらも、白山丸の乗員・乗客十四名全ては助けていただきました。


 


なお、護摩札の四隅には釘を打った穴があり、一か所には錆びた釘がわずかに残っています。護摩札を船に打ち付けたものと思われます。現代の感覚として、お札に穴を開けるのはどうかと思いますが、これもまた、何があろうとも堅固にこの護摩札を船に取り付けておきたいという船員の命を懸けた思いなのではないでしょうか。


今日の予定